2007年 02月 17日
ナメクジ電車と新幹線
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イタリア鉄道に関しては前に書いたこともあるけど、Repubblicaに面白い記事が載っていたのでご紹介。実に微笑ましい。
ナメクジ電車のイタリア。460kmを11時間。
Trapaniを11時間前に出発して我々はModicaに着いた。飛行機であればモスクワにもダカールにもはたまたドゥバイにも辿り着ける所用時間。シチリアを電車で横断する方が飛行機で地球の反対側に行くよりも時間がかかる。イタリアでは電車は実にゆっくり走る。そしてある区間では25年前、35年前より所用時間がかかる。驚異の遅延、臭い電車、そして突然平野のど真ん中で止まるナメクジ電車。無人か超満員、夏はオーブン、冬は電気冷蔵庫。運賃はどんどん上がり、それとは関係なく常にゆっくり走る。イタリア人にとってそれは悪夢。電車はびっこを引いて走り、壊れ、乗客は車内に閉じ込められる。イタリアでは電車の旅は遠かれ近かれ悲劇と化す可能性を秘めている。
我々は昔の時刻表を手に入れたのだが、何十年前と比較するとそれはまさに驚きである。例えば、あなたがピカピカのEurostarに乗ってトリノからヴェネツィアへ行くとしよう。ミラノ通過で4時間43分、ボローニャ経由で4時間53分かかる。1975年の時刻表を見ると、トリノからヴェネツィアまで所用時間は4時間40分。確かに電車の数は少なかったかもしれないが、32年前はトリノ~ヴェネツィア間はもっと近かったということになる。
また32年前ミラノからリボルノまでは昔は4時間15分かかっていた。今日は4時間4分。30年以上かけてイタリア鉄道は360秒の所用時間短縮に成功したことになる。
こうなったらナポリに行くしかない。本当の高速電車"l'Alta Velocità"に乗りに。
「乗客の皆様、我々はただいま時速300kmに到達しました」Formiaを過ぎてすぐTrenialitaからアナウンスが流れる。10時25分に出発した電車はナポリ中央駅に時間通りに到着。復路もローマテルミニ駅に定刻より7分前に到着。このイタリアで永遠待っても有り得ない状況。そこでミラノ行きのEurostarに乗り換える。ボローニャに定刻通り到着。そして不潔で悪臭を放つ便所付きの鈍行でPiacenzaへ。正午のPiacenza駅に流れるアナウンス。「レッジョカラブリアからの電車が150分遅れています」。
2月7日、8時45分もう一度ローマ~ミラノ間の電車に乗る。ローマを15分後れで出発した電車はエンジン故障でフィレンツェに35分遅れで到着。ボローニャには30分遅れ。ミラノにはイタリア鉄道が言うには38分遅れ。私の時計によると46分遅れ。
一方たまたま買った雑誌GQに日本の新幹線に関する記事が載っていたのでそれもご紹介。
私はリクライニングする座り心地の良いのぞみ500系に座り東京駅を出た。新幹線はフェラーリテスタロッサ並みの加速で東京駅を出発した。私は出発する何日か前にチケットを買いに東京駅へ行った。ミラノ中央駅の50倍はあろうかと構内で風切って行き来するスーツ姿のビジネスマンの一人にチケット売り場まで連れていってもらった。チケット売り場は混雑。しかし行列に並んで4分後には自分の番になる。24ある窓口の全てが開いているのだ。駅員は私に電車は13時13分に16番ホームから出発することを伝えてくれた。私は笑ってしまった。イタリアでは出発の2日前に「16番ホーム」と言える勇気ある駅員は存在しない。掲示板とにらめっこし出発の2分前にあなたが走らなければならないホームを伝える仕組みになっているのだから。
乗車する前に驚いたことが待ち合い室が無いことである。全てが完璧な東京駅にこれは大きな忘れ物のように思われる。しかし日本を少し電車で旅をするとそれは理に叶っていることが理解できる。そう、待つ時間が存在しないのだ。
こうしてアオサギのくちばしの形をしたのぞみスーパーエクスプレスは紅葉で彩られた関西の森を飛ぶ。これは既にアートである。「日本人は融通が利かない」という決まり文句?当然精密ではある。テクノロジー、信頼性、安全性。しかしそれだけではない。ここまで電車の旅を美しくするのは国民性の一部であり、宗教的でさえある。車掌が検札した後お辞儀をするのをもう笑うことなどできない。彼も新幹線で働くことに誇りを持っているのだ。この姿勢は我々には滑稽に映るが、仏教と神道が融合されたこの国では自然であろうが天才によって創られた製品であろうが全ての物に対する敬意の念を示すのである。新幹線には電話もあり時速300kmで日本を縦断しながら1000円のテレフォンカードでイタリアの友人にいかにこの国では全てが完璧に機能しているかを伝えることもできるのだ。座席に戻ると、アナウンス嬢が甘い声で電車がまもなく博多駅に到着することを伝える。1205kmを5時間半。イタリアでは実にトリエステからパレルモまでの距離である。この旅がこんなに早く終ってしまうことに少し残念にも思うが、セックスを今終えたばかりのような激しい満足感に包まれる。新幹線がホームに到着するとドアの前で列を作って待つ掃除婦が新幹線に向かってお辞儀をする。それを笑うのではなく、我々も彼女にお辞儀をする。この全てに完璧な調和に対して敬意を表し彼女達にお辞儀をするのだ。
ナメクジ電車のイタリア。460kmを11時間。
Trapaniを11時間前に出発して我々はModicaに着いた。飛行機であればモスクワにもダカールにもはたまたドゥバイにも辿り着ける所用時間。シチリアを電車で横断する方が飛行機で地球の反対側に行くよりも時間がかかる。イタリアでは電車は実にゆっくり走る。そしてある区間では25年前、35年前より所用時間がかかる。驚異の遅延、臭い電車、そして突然平野のど真ん中で止まるナメクジ電車。無人か超満員、夏はオーブン、冬は電気冷蔵庫。運賃はどんどん上がり、それとは関係なく常にゆっくり走る。イタリア人にとってそれは悪夢。電車はびっこを引いて走り、壊れ、乗客は車内に閉じ込められる。イタリアでは電車の旅は遠かれ近かれ悲劇と化す可能性を秘めている。
我々は昔の時刻表を手に入れたのだが、何十年前と比較するとそれはまさに驚きである。例えば、あなたがピカピカのEurostarに乗ってトリノからヴェネツィアへ行くとしよう。ミラノ通過で4時間43分、ボローニャ経由で4時間53分かかる。1975年の時刻表を見ると、トリノからヴェネツィアまで所用時間は4時間40分。確かに電車の数は少なかったかもしれないが、32年前はトリノ~ヴェネツィア間はもっと近かったということになる。
また32年前ミラノからリボルノまでは昔は4時間15分かかっていた。今日は4時間4分。30年以上かけてイタリア鉄道は360秒の所用時間短縮に成功したことになる。
こうなったらナポリに行くしかない。本当の高速電車"l'Alta Velocità"に乗りに。
「乗客の皆様、我々はただいま時速300kmに到達しました」Formiaを過ぎてすぐTrenialitaからアナウンスが流れる。10時25分に出発した電車はナポリ中央駅に時間通りに到着。復路もローマテルミニ駅に定刻より7分前に到着。このイタリアで永遠待っても有り得ない状況。そこでミラノ行きのEurostarに乗り換える。ボローニャに定刻通り到着。そして不潔で悪臭を放つ便所付きの鈍行でPiacenzaへ。正午のPiacenza駅に流れるアナウンス。「レッジョカラブリアからの電車が150分遅れています」。
2月7日、8時45分もう一度ローマ~ミラノ間の電車に乗る。ローマを15分後れで出発した電車はエンジン故障でフィレンツェに35分遅れで到着。ボローニャには30分遅れ。ミラノにはイタリア鉄道が言うには38分遅れ。私の時計によると46分遅れ。
一方たまたま買った雑誌GQに日本の新幹線に関する記事が載っていたのでそれもご紹介。
私はリクライニングする座り心地の良いのぞみ500系に座り東京駅を出た。新幹線はフェラーリテスタロッサ並みの加速で東京駅を出発した。私は出発する何日か前にチケットを買いに東京駅へ行った。ミラノ中央駅の50倍はあろうかと構内で風切って行き来するスーツ姿のビジネスマンの一人にチケット売り場まで連れていってもらった。チケット売り場は混雑。しかし行列に並んで4分後には自分の番になる。24ある窓口の全てが開いているのだ。駅員は私に電車は13時13分に16番ホームから出発することを伝えてくれた。私は笑ってしまった。イタリアでは出発の2日前に「16番ホーム」と言える勇気ある駅員は存在しない。掲示板とにらめっこし出発の2分前にあなたが走らなければならないホームを伝える仕組みになっているのだから。
乗車する前に驚いたことが待ち合い室が無いことである。全てが完璧な東京駅にこれは大きな忘れ物のように思われる。しかし日本を少し電車で旅をするとそれは理に叶っていることが理解できる。そう、待つ時間が存在しないのだ。
こうしてアオサギのくちばしの形をしたのぞみスーパーエクスプレスは紅葉で彩られた関西の森を飛ぶ。これは既にアートである。「日本人は融通が利かない」という決まり文句?当然精密ではある。テクノロジー、信頼性、安全性。しかしそれだけではない。ここまで電車の旅を美しくするのは国民性の一部であり、宗教的でさえある。車掌が検札した後お辞儀をするのをもう笑うことなどできない。彼も新幹線で働くことに誇りを持っているのだ。この姿勢は我々には滑稽に映るが、仏教と神道が融合されたこの国では自然であろうが天才によって創られた製品であろうが全ての物に対する敬意の念を示すのである。新幹線には電話もあり時速300kmで日本を縦断しながら1000円のテレフォンカードでイタリアの友人にいかにこの国では全てが完璧に機能しているかを伝えることもできるのだ。座席に戻ると、アナウンス嬢が甘い声で電車がまもなく博多駅に到着することを伝える。1205kmを5時間半。イタリアでは実にトリエステからパレルモまでの距離である。この旅がこんなに早く終ってしまうことに少し残念にも思うが、セックスを今終えたばかりのような激しい満足感に包まれる。新幹線がホームに到着するとドアの前で列を作って待つ掃除婦が新幹線に向かってお辞儀をする。それを笑うのではなく、我々も彼女にお辞儀をする。この全てに完璧な調和に対して敬意を表し彼女達にお辞儀をするのだ。
by s.isaia
| 2007-02-17 00:52
| Italian Style